2025-01-13 20:34:00

「マスク外せど、経済回らず」

「マスク外せど、経済回らず」

 

「経済を回さねば!」という掛け声のもと、新型コロナはめでたく(?)5類に格下げされ、学校現場でも「マスクはもういいよ」と脱マスクへの大転換がなされた。子どもたちの顔もようやく見えるようになり、「これで明るい未来がやってくる」と思ったのもつかの間、今度は感染症が四方八方から猛威を振るい始めた。

 

検査キットも薬もどこへ消えた?

 

経済を回すどころか、感染症が回りまくっているこの状況。インフルエンザ、RSウイルス、溶連菌、さらにはマイコプラズマまで次々と流行し、「いったいこれは何に感染したのだろう?」と疑問を抱いても、肝心の検査試薬はどこも品切れ。抗原検査をしようにもキットがない。「まあ、検査しなくてもどうせ治らないからいいか」と諦めの境地に至る人も増えた。

 

マイコプラズマの治療薬に至っては、もはや見つけたら奇跡というレベル。病院でも「薬がなくてねぇ…とりあえず様子を見てください」と言われ、患者は「そうか、医療もいよいよ自然派志向になったか」と妙に納得する始末。おまけに咳止めまで不足し、「咳エチケットを守りましょう」と言われても、そもそも止める薬がない。「マスク外しても咳が止まらないなら、むしろマスクつけてた方がいいんじゃないか?」と気づく人も少なくないが、時すでに遅し。

 

インフルエンザ治療は「寝るに限る」

 

そんな中、インフルエンザの治療薬までもが欠品状態。医師も「薬はないけど、家でゆっくり寝ててください」としか言えない有様だ。薬局では「薬がなくても寝てれば治る」という究極の自然治癒法が推奨され、患者も「これが最先端の治療法か…」と妙に納得して帰っていく。

 

ロングコビットで才気も滞る

 

一方で、ロングコビットに悩む人たちも少なくない。いつまで経っても鼻の通りが悪く、嗅覚や味覚が戻らないまま。受験生に至っては、鼻の調子が悪すぎて「目から鼻に抜ける才気」が完全にブロックされている始末。「こんな状態でどうやってひらめきを出せと言うんだ!」と嘆く声もあちらこちらから聞こえてくる。

 

経済を回すつもりが…

 

感染症が蔓延して体調不良の人が続出し、学校では欠席者が増え、会社でも「風邪を押して出社」という美徳(?)は消え去り、「無理せず休んでください」という張り紙が増えた。結果、経済は回るどころか減速。感染症対策を緩めて経済を回そうとしたはずが、肝心の労働力が足りずに回らなくなっているという笑えない事態だ。

 

まとめ:経済より健康を回そう

 

結局のところ、「経済を回すためにマスクを外そう」という発想が安易だったのかもしれない。経済を回すには、まず健康を回さなければならない──そんな当たり前のことを、いまさらながら痛感しているのが現状だ。

 

とはいえ、この状況を嘆いてばかりもいられない。経済が回らないなら、自宅でぐるぐると布団を巻いて休むしかない。そんなこんなで、「マスク外せど、経済回らず」の冬は、ユーモアと諦めをもって乗り切るしかないらしい。次の春、何かが回り始めることを願いながら。

 

2025-01-10 22:59:00

恵あれど、恵なし

「恵あれど、恵なし」

 

新型コロナの幕開けに連日耳をつんざくように響いた「PCR!PCR!」の大合唱。お茶の間では司会者が不安を煽り、不安に駆られた視聴者は「とにかくPCRを受けなければ生き残れない」と思わされたものだ。まるで、PCRを唱えることが免疫力を高める呪文であるかのように。

 

あれから数年。今日のお昼、たまたまテレビをつけてみると、今度は「過去最多のインフルエンザ」の話題で盛り上がっている。司会者は、かつての緊張感をどこへやら、茶の間の笑いを取ろうと軽妙に話している。「皆さん、毒出しうがいですよ!これでスッキリ、予防バッチリ!」などと。

 

毒出しうがい?なるほど、これで笑いは出るが、インフルエンザは出ていかない。いやいや、真っ先に勧めるべきはマスクだろう。それも不織布マスク。次に抗原検査キットくらい紹介しても良いものだが、そんな具体策は微塵も出てこない。どうやら「笑いを出す」方が「感染を防ぐ」よりも大事らしい。

 

 

 

医療現場はさらに深刻だ。インフルエンザ治療の切り札である「タミフル」はあるものの、肝心のジェネリック薬「オセルタミビル」はどこへ行ったのか?政府はかつて、「ジェネリックを推進すれば医療費削減になる」と声高に勧めていたが、いざ必要なときになると市場から消えている。政府が推進したはずの薬が、現場で「品薄」として消えるこの滑稽さ。これでは「推奨」ではなく「空証」ではないか。

 

さらに深刻なのは、抗原検査キットが医療機関にすら行き渡らない現状だ。これでは新型コロナはおろか、インフルエンザさえも満足に診断できない。早期診断ができなければ、適切な治療も遅れ、感染拡大を防ぐどころか医療機関の負担を増やすばかりだ。

 

驚くべきことに、状況は新型コロナ初期の頃よりも悪化している。当時は、PCR検査や抗原検査を実施する体制を整え、早く診断できるようにしようという努力がなされていた。しかし今は、コロナとインフルエンザの同時流行が懸念されているにもかかわらず、必要な検査キットが届かず、医療機関は手詰まり状態だ。「いつでも検査できる環境を整える」と言っていた政府の言葉は、いったいどこへ消えてしまったのだろうか。

 

少なくとも、不織布マスクの着用をもう少し喚起するくらいはできるはずだが、不思議なことに、それだけは意固地に言わない。喚起するだけなら財源は要らないはずだ。それとも、「財源が要らない対策は増税の口実に使えないから言わない」という高度な政治的判断でもあるのだろうか。

 

仮に政府からマスク1枚でも送られてきたなら、安倍総理の時の「アベノマスク」と違って、今の政府ならきっと「財源が厳しい中、国民の安全を守るための英断だ」として増税の口実にされかねない。そんなことを想像すると、もはやマスク1枚すら受け取るのが怖い。マスクが手元に届く前に、「この冬を乗り切るための臨時増税」がセットで発表される未来が見えるからだ。

 

結局、我々にできるのは、自分たちでマスクを調達し、自分たちで手を洗い、自分たちで毒を出さないようにすることだけ。毒出しうがいより、「毒出し政府」をしてほしいものだが、それは高望みというものか。

 

そんなわけで、この冬も笑い話と不安を抱えながら、我々は「恵あれど、恵なし」の季節を乗り切るしかないらしい。もっとも、そんな皮肉を言っている間にも、新しい増税の影が迫っているのかもしれないが。

 

2025-01-09 23:00:00

インフル来たりなば、備えも忘るべからず

昔からの言い伝えに、「インフル来たりなば、春節遠からじ」というのがある。冬の寒風に乗ってインフルエンザがやってくれば、春節が近づく合図だ、なんていう季節の風物詩的な言い回しだが、最近ではこれを聞くとつい「今度は何が来るんだ?」と身構えてしまうのが現代人の性(さが)だ。

 

ここ数年、ウイルス界隈は活発である。新型コロナが世界デビューを飾り、パンデミックの座を射止めたかと思えば、次はインフルエンザとの「共演」はどうだと噂され、さらには動物界の隠し玉が控えているというから油断ならない。

 

特に春節といえば、中国からの大移動が繰り広げられる季節の一大イベント。もしも新しいウイルスがその「VIPツアー」に便乗しようものなら、あっという間に世界巡業が始まってしまう。これが現代のグローバル社会の怖いところである。

 

とはいえ、ただ怯えてばかりでは健康も心も守れない。ここは一つ、賢くかつユーモアをもって対策を講じるのが現代人のたしなみだ。

 

まず、「ワクチンを接種すればよかろうなのだ」と豪快に構えておく。インフルエンザもコロナも、備えあれば憂いなし。次に、「マスクはもはや冬のファッションアイテム」と割り切り、あえて楽しむくらいの心意気を持つ。そして最後に、手洗いを「儀式」として捉え、手を洗うたびに「邪気払い完了」とつぶやけば、ちょっとした自己満足と清潔感が手に入る。

 

このように、「インフル来たりなば、春節遠からじ」という言い伝えは、単なる季節の兆しではなく、私たちに「そろそろ用心しておけよ」という優しい警告を与えてくれているのだ。賢く、面白く、少しだけ神経質に構えつつ、この冬を乗り切ろうではないか。

 

もし新しいウイルスが現れたとしても、こちらには長年の経験と最新の科学技術、そして何よりユーモアがあるのだ。春節を迎える頃には「今回もなんとか乗り切ったな」と笑い話にできるよう、今はしっかり備えるに限る。