2025-01-10 22:14:00

「心の緊張と希望の記憶—新しい土地で見つけた生きる力」

 

 

「心の緊張と希望の記憶—新しい土地で見つけた生きる力」

 

昨年末、仕事納めを終えた後に微熱を出して寝込んでしまった。2回インフルエンザと新型コロナの検査をやってみたが陰性で、「これはもう休むしかないな」と思い、布団にくるまってじっとしていた。こうした経験は初めてではない。クリニックを開業した当初から長く勤めてくれた師長さんも、「普段は滅多に風邪を引かないのに、年末年始になると決まって熱を出す」と言っていたことを思い出す。どうやら張り詰めていた心の緊張が解けると、身体が反応してしまうらしい。

 

寝込んでいる間、大学時代に読んだ清岡卓行の『アカシアの大連』を思い出した。医学部に入ったばかりの頃、ふと手に取ったこの小説の中で、敗戦の年の4月、主人公が日本から大連の実家に帰省し、緊張が解けた途端に熱を出して寝込むシーンが出てきて、思わず苦笑したことを覚えている。

 

物語は、戦前から戦中、そして終戦を迎える大連での生活を主人公の視点から描いている。異国の地で新しい生活を築きながらも、戦争の影が徐々に迫り、平穏な日々が崩れていく中で、主人公は自らの存在意義を深く問い続ける。そして、死を単なる終わりではなく「美しい終結」として憧れを抱く一方で、無惨に肉体と意識が滅び去る現実的な死への恐怖を抱き、両者の間で葛藤する。

 

主人公の死に対する考えは、「人生の終結としての美しい死」に憧れながらも、「無惨に肉体と意識が滅び去る忌避すべき死」という現実を直視することで分裂している。戦時下の厳しい現実に直面する中で、この二つの相反する死生観に揺れ動く主人公の姿は、単なるフィクションではなく、時代に生きた多くの人々の心の葛藤を象徴している。

 

特に印象に残ったのは、『「彼女と一緒なら、生きて行ける」という思いが、主人公の胸を膨らませ、やがて、魅惑の死をときどきはまったく忘れさせるようになっていた』という一節だった。この言葉は、主人公が「美しい死」への憧れを忘れ、「生きること」に希望を見出すきっかけとなった瞬間を象徴している。主人公は他者とのつながりを得ることで、死に惹かれる心情から解放され、未来に向かう力を得たのだ。

 

私自身もまた、この言葉に共感した。高校2年のときに北海道の故郷を離れ、家族と共に茨城県に移り住んだ私は、不安を抱えながら新しい生活を始めた。当時は東京の大学に進学したいという夢を持っていたが、現実はそう甘くはなく、最終的に父親の勧めもあって栃木県の自治医科大学に進学することになった。希望していた道が叶わなかった悔しさや、新天地での生活への不安が入り混じる日々の中で、自分の居場所を見つけることに必死だった。

 

そんな中、学生寮で出会った先輩や友人たちの存在が私にとっての「生きて行ける」という思いを支えてくれた。見知らぬ土地、未知の医学の世界での孤独感や戸惑いは、彼らとのつながりを通じて少しずつ和らいでいった。私にとっての「彼女と一緒なら、生きて行ける」という言葉は、彼らとのつながりそのものだったのだろう。

 

清岡卓行の主人公が、生きる希望を見出したように、私もまた、人とのつながりを通じて「生きて行ける」と思えるようになった。その思いが、不安に満ちた日々を希望に変え、私を前へと進ませてくれた。

 

今も、忙しい日々の中でふと立ち止まり、不安を感じることがある。「この道を進み続けていいのだろうか」と迷うこともあるが、これまでの経験を振り返ると、支え合える誰かの存在が、「生きて行ける」という確信を生んできたことを実感する。

 

年末になると忙しさから解放され、心の緊張がふっと解ける瞬間がある。そのたびに微熱を出して寝込むこともあるが、それは一つの「休息のサイン」なのかもしれない。緊張と弛緩を繰り返しながら、私たちは少しずつ歩みを進めていく。そしてその歩みの中で、「生きて行ける」と思えた瞬間こそが、人の心を支え、未来を切り拓く力になるのだと、清岡卓行の言葉を通して改めて感じている。