脳に病理があっても、記憶力は守れる? 認知レジリエンス――脳の働きを守る仕組みを探る
脳に病理があっても、記憶力は守れる?
認知レジリエンス――脳の働きを守る仕組みを探る
アルツハイマー病というと、脳にアミロイドβやタウという異常なタンパク質が蓄積し、やがて記憶力が低下していく病気だと考えられています。
ところが、興味深いことが分かってきました。
脳にアルツハイマー病の特徴的な病理が認められても、記憶力や判断力が比較的よく保たれている人がいるのです。
同じように病理が蓄積していても、認知機能が低下する人と、そうでない人がいる。この違いは、いったいどこから生まれるのでしょうか。
近年、この謎を解く鍵として注目されているのが、「認知レジリエンス(cognitive resilience)」という考え方です。
■ 認知レジリエンスとは何か
レジリエンスとは、もともと困難や障害に直面しても、機能を保ったり回復したりする力を意味します。
認知レジリエンスとは、脳に病理が存在していても、その程度から予想されるより認知機能が良好に保たれている状態を指します。
ここで、よく似た二つの概念を区別しておきましょう。
レジスタンス(抵抗性)は、脳に病理が生じにくい、あるいは蓄積しにくいことです。
一方、レジリエンス(機能的な強さ)は、病理が存在しても認知機能が比較的保たれることです。
つまり、病気の原因となる変化を抑えることと、変化があっても脳の働きを維持することは、別の問題なのです。
ただし、認知機能の個人差には、病理の量だけでなく、病理の分布、脳血管病変、他の神経変性病理なども関係します。単純に「同じ量のアミロイドがあれば、条件も同じ」とは言えません。
■ 脳の働きを守る4つの仕組み
認知レジリエンスがどのように生まれるのか、その仕組みはまだ十分に解明されていません。
現在、特に注目されているのが次の4つです。
① シナプスの維持
脳の神経細胞は、シナプスという接続部分を介して情報を伝えています。
アルツハイマー病では、シナプスの障害や減少が認知機能の低下と深く関係します。
逆に、病理が存在していてもシナプスの構造や働きが比較的保たれていれば、認知機能の維持につながる可能性があります。
② 神経炎症の調節
脳には、ミクログリアという免疫細胞が存在します。
ミクログリアは、不要な物質の除去や神経回路の維持に関わる一方、過剰または不適切な反応によって神経細胞やシナプスに悪影響を及ぼすこともあります。
重要なのは、炎症を単純に抑えることではなく、脳の免疫反応を適切に調節することだと考えられています。
③ 神経回路の柔軟性と認知予備能
脳には、一部の働きが低下しても、別の神経回路を活用するなどして機能を補う可能性があります。
こうした柔軟な働きは、認知予備能を支える仕組みの一つと考えられています。
認知予備能とは、脳の加齢変化や病理があっても、認知機能を比較的よく維持できる個人差を説明する概念です。
教育、仕事、知的活動、社会経験などとの関連が研究されていますが、単に神経回路の代償機能だけを意味するものではありません。
④ 脳のエネルギー代謝を支える働き
脳は、体の中でも多くのエネルギーを消費する臓器です。
神経細胞の働きを維持するには、安定したエネルギー供給と適切な細胞環境が欠かせません。
近年は、神経細胞を支えるアストロサイトという細胞にも注目が集まっています。
アストロサイトは、神経細胞の代謝、神経伝達物質の調節、細胞外環境の維持などに関わります。
こうした働きが認知レジリエンスにどの程度寄与するかは、現在研究が進められている段階です。
■ スーパーエイジャーという人たち
認知レジリエンスを考えるうえで興味深いのが、スーパーエイジャー(SuperAgers)と呼ばれる人たちです。
一般に、80歳以上でありながら、50~60歳代に匹敵する優れたエピソード記憶の成績を示す人々を指します。
研究では、スーパーエイジャーの中にも、アルツハイマー病理が少ない人と、病理が認められても記憶力を保っている人がいることが示されています。
前者はレジスタンス、後者はレジリエンスを考えるうえで参考になります。
つまり、優れた記憶力を保つ理由は一つではないのです。
ただし、スーパーエイジャーの特徴がすべての人に当てはまるわけではなく、特定の生活習慣によって誰でもスーパーエイジャーになれると証明されたわけでもありません。
■ 今日からできる5つの取り組み
では、私たちは何をすればよいのでしょうか。
認知レジリエンスそのものを確実に高める治療法は、まだ確立していません。
しかし、脳の健康を守り、認知機能低下のリスクを減らすために役立つ取り組みはあります。
1.血管と代謝を守る
高血圧、糖尿病、脂質異常症、喫煙などは、脳血管障害や認知症のリスクと関係します。血圧、血糖、脂質を適切に管理し、禁煙を心がけることが大切です。
2.体を動かす
ウォーキングなどの有酸素運動に加え、筋力トレーニングも取り入れましょう。体力や身体機能の維持だけでなく、脳の健康にも役立つ可能性があります。
3.人とつながり、頭を使う
人との会話、趣味、読書、新しいことへの挑戦などを続けましょう。社会的なつながりや知的活動は、認知機能の維持に関係すると考えられています。
4.聴力・視力・睡眠を整える
聞こえにくさや見えにくさを放置せず、必要に応じて補聴器や眼科的治療を検討しましょう。睡眠の問題にも適切に対処することが大切です。
5.バランスのよい食事をとる
野菜、魚、豆類、ナッツなどを取り入れ、偏りの少ない食事を心がけましょう。
地中海食やMIND食などが注目されていますが、特定の食事法だけで認知症を予防できると証明されているわけではありません。
大切なのは、どれか一つの方法に頼るのではなく、生活習慣を総合的に整えることです。
■ 生活習慣の改善には、どこまで根拠があるのか
2024年のLancet認知症委員会報告では、難聴、高LDLコレステロール、高血圧、身体活動不足、社会的孤立など、14の修正可能な認知症リスク因子が示されました。
これらへの対策は、認知症の発症を遅らせたり、集団全体の発症リスクを減らしたりする可能性があります。
また、2025年に発表された米国のUS POINTER試験では、運動、栄養、認知活動、健康管理などを組み合わせた構造化された生活習慣介入が、自己管理型の介入と比べて、2年間の全般的認知機能の変化に小さいながら統計学的に有意な差を示しました。
ただし、この結果は「認知症の発症を確実に防いだ」ことや、「アルツハイマー病理があっても認知レジリエンスを高めた」ことを直接証明するものではありません。
生活習慣への介入は有望ですが、その効果を過大評価しないことも重要です。
■ 認知症予防には、二つの方向性がある
これまでのアルツハイマー病研究では、アミロイドβやタウなどの病理を減らしたり、その進行を抑えたりすることに重点が置かれてきました。
実際、アミロイドβを標的とする抗体医薬は、一定の条件を満たす早期アルツハイマー病の患者さんに使用されています。
一方、認知レジリエンスの研究は、病理が存在しても脳の働きをどのように維持できるのかという、もう一つの方向から認知症に取り組もうとするものです。
この二つは対立する考え方ではありません。
病理を減らすこと。そして、脳の働きを守ること。
将来の認知症対策では、この二つを組み合わせる視点がますます重要になると考えられます。
■ おわりに――脳の病理だけが、未来を決めるわけではない
年齢を重ねれば、脳にもさまざまな変化が起こります。
しかし、脳に病理があることと、認知機能が低下することは、必ずしも同じではありません。
脳には、病理に抵抗する仕組みと、病理があっても働きを保とうとする仕組みが存在する可能性があります。
その全容はまだ分かっていませんが、認知レジリエンスの研究は、認知症の理解に新しい視点を与えています。
私たちが今できるのは、血管と代謝を守り、体を動かし、人と交流し、感覚機能や睡眠を整え、バランスのよい食事を続けることです。
それらが認知レジリエンスを直接高めると証明されたわけではありません。それでも、脳と体の健康を守るための大切な取り組みです。
脳の病理を減らすことだけでなく、脳の働きをできるだけ長く保つこと。
そこに、これからの認知症予防の新しい可能性があります。
主な参考文献
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Baker LD, et al. Structured vs Self-Guided Multidomain Lifestyle Interventions for Global Cognitive Function: The US POINTER Randomized Clinical Trial. JAMA. 2025;334(8):681–691.
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Livingston G, et al. Dementia prevention, intervention, and care: 2024 report of the Lancet standing Commission. The Lancet. 2024.
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Stern Y, et al. Whitepaper: Defining and investigating cognitive reserve, brain reserve, and brain maintenance. Alzheimer's & Dementia. 2020.
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Barnes LL, et al. Trial of the MIND Diet for Prevention of Cognitive Decline in Older Persons. New England Journal of Medicine. 2023.
※本記事は医学研究の紹介を目的としたものです。認知機能の低下には、薬剤の影響、甲状腺機能低下症、ビタミンB12欠乏症など、治療によって改善し得る原因もあります。気になる症状がある場合は、医療機関にご相談ください。

