「半周遅れの成功から、2周遅れの失敗へ」
新型コロナの初期、日本は慎重な対応で感染拡大を抑えた。「PCR検査が少ない」「対応が遅い」との批判があったものの、「3密を避け、マスクを徹底し、ワクチンができるまで時間を稼ぐ」という方針が功を奏し、大混乱は回避された。
しかし、その後の対応は迷走を始める。一部の専門家が「ワクチンを打てば集団免疫ができ、元の生活に戻れる」との楽観論を広めたことで、「これで終息」という空気が生まれた。しかし現実は、ウイルスの変異が続き、感染拡大は収束しなかった。それにもかかわらず、「経済を回すためには規制を緩和し、マスクを外すべきだ」との声が優勢となり、対策の主導権は医学者から経済界、財務省へと移っていった。
さらには「オミクロン株はインフルエンザのようなものだ」という安易な認識が広がり、脱マスクと規制緩和が急速に進められた。欧米ではすでに、脱マスク政策の失敗や後遺症による経済損失が明らかになっていた。それでも日本は、彼らの失敗を直視せず、「彼らが失敗したからこそ、我々は成功する」という謎の自信を抱き、同じ道を追った。
結果、どうなったか。インフルエンザ、RSウイルス、溶連菌、マイコプラズマといった「感染症オールスターズ」が同時流行を引き起こし、社会全体が混乱に陥った。学校では欠席者が増え、労働力不足は深刻化。「経済を回すための脱マスク政策」が、逆に経済活動を停滞させる皮肉な結果を招いたのだ。
慎重さを忘れた失策
振り返れば、日本は慎重な対応で得た有利な立場を自ら捨ててしまった。「3密や公共の場でのマスク着用」といった基本的な対策を維持していれば、ここまでの混乱は避けられたはずだ。しかし、「欧米に追いつかなければ」という焦りが、間違った方向への加速を招いた。
こうした迷走は、新型コロナ対応に限った話ではない。例えば移民政策では、欧米で過剰な移民受け入れが社会的混乱や治安悪化を招いていることが数多く報告されている。それでも日本はその失敗を教訓にせず、同じ轍を踏もうとしている。
また、LGBT施策でも同様だ。欧米の急進的な法整備が社会の分断を引き起こした事例があるにもかかわらず、日本では十分な議論を経ずに追従する動きが見られる。異論を「差別」として封じ込める風潮は、真の多様性を損なうだけだ。
「急がば回れ」を忘れた日本」
「急がば回れ」という言葉がある。慎重さで成功を収めた過去を忘れ、性急な政策に走った結果、日本は欧米の失敗を「2周遅れ」で追いかける事態に陥っている。
「オミクロンはインフルエンザのようなものだ」と軽視された結果、感染症の同時流行が経済や社会に深刻な影響を与えている。この状況から学べることは、「半周遅れの成功」があったからといって、「2周遅れの失敗」が許されるわけではないということだ。
今こそ、「目先の変化を追うより慎重に」という原則に立ち返るべきではないだろうか。気づけば「2周遅れの混乱」が広がる現実に、私たちはどう向き合うべきかを考える時が来ている。